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上巳の節句雛人形はいつからいつまで飾ればいい?雛飾りの種類は

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上巳の節句とは、3月3日に雛人形を飾り女の子の成長を祝う行事で、別名桃の節句とも呼ばれています。

雛人形はいつからいつまで飾ればいいの?って毎年思うのです。
雛人形は、立春の(2月4日)頃から中旬にかけて、遅くても節句の1週間前までには飾り、お節句がすんだら遅くとも3月中旬までにはしまうのがいいようです。

ところで、上巳の節句の読み方って知っていまましたか?
じょうしのせっく又は、じょうみのせっくと読みます。
わたしは、桃の節句や雛祭りと覚えていて、3月3日が上巳の節句という事を知らなかったです。

上巳の節句とは、雛人形を飾る時期や由来、意味についても調べてみましたので、簡単に紹介します。

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雛人形はいつからいつまで飾ればいい?

雛人形を3月3日の前日に飾るのは「一夜飾り」といって縁起が良くないとされています。

立春の(2月4日)頃から中旬にかけて、遅くても節句の1週間前までには飾るのが良いようです。
また、お節句がすんだら、早めにしまうよう、遅くとも3月中旬までで天気の良い、乾燥している日にしまうようにします。

よく、雛人形をずっと飾っていると、婚期が遅れると言われていました。
わたしの場合は、ケース入りなので1年中出ているわけで。
子ども心に、どうしたものかと思っていましたが適齢期で結婚できました。

厄を移した雛人形をいつまでも飾っておくのは良くないからと言う理由みたいです。

4月3日に雛祭りが行われている地域があって、「月遅れのひな祭り」と言われるそうですが、わたしの地域では子どもの頃4月3日が雛祭りでした。
最近では、スーパーでも3月3日に、雛祭りの曲が流れているので3月に行われるてるみたいです。

色々な雛飾り

雛飾りには、色々な物があります。
もっともポピュラーな段飾りの他に、出飾り、親王飾り、立雛、つるし雛などがあります。

段飾り

段飾りは、基本的には段に緋毛せんと呼ばれる赤い布をかけて、その上に雛人形をのせた飾りです。
この赤い布は、魔除けの意味をもっています。
5段、7段、8段飾りがあります。

出飾り

お内裏様とお雛様、三人官女の5人で2段または3段飾りで木製の段上に雛人形をのせた飾りを、出飾りと呼びます。
木製段の上に飾る飾り方をいうそうです。
5人飾りとも言われえます。

親王飾り

親王飾りは、お内裏様とお雛様の2体だけの雛飾りで、天皇と皇后を表したとされています。
お内裏様は、親王とも呼ばれていたことから親王飾りとなったようです。
お内裏様とお雛様を真ん中に、屏風、雪洞、三宝菱台、桜橘を飾るのが一般的です。


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立雛

立雛は、立ち姿の夫婦雛の総称で衣装が紙で出来ていることから紙雛とも言われています。

雛人形のはじまりは、立った形だったそうです。
平安時代に、形代(かたしろ)と言う紙で作ったお雛様を川に流して、邪気や厄を祓う風習が雛人形の起源なのだそうです。

つるし雛

つるし雛は、たくさんの小さなお人形をつるして飾る雛飾りです。
江戸時代、雛人形はとても高価だったので一般庶民には手に入れずらかったため、娘や孫娘のために雛飾りを手作りして初節句を祝うという親心から生まれたものなのだとか。

つるし雛には、女の子の生活必需品が飾られていて「衣食住に困らないように」との願いが込められています。

福岡県柳川市の「さげもん」、山形県酒田市の「傘福」、静岡県東伊豆町稲取の「つるし飾り」は、日本三大つるし雛と言われています。

上巳の節句とは

上巳の節句とは、じょうしのせっく、又は、じょうみのせっくと読んで3月3日に女の子の女の子の成長を祝い、幸せを願う行事です。

上巳の節句は、五節句の一つで、旧暦の3月3日頃桃の花が咲く時期と重なることから、「桃の節句」とも言われました。
節句とは、季節の変わり目を言います。

古代の中国では、3月の第1巳の日を「上巳」とし、厄日とされていました。

この日は、水辺で禊(祓い)を行って、自分の身代わりとして「ひとがた」を川に流して桃の酒を飲んで邪気や厄を祓っていました。
なぜなら、桃には、強い生命力と香りには厄除けの力があると考えられていたからです。

上巳の節句と雛人形

古代中国の年中行事である「上巳の節句」人形の厄払いと、日本の平安時代に貴族社会で行われていた「ひいな遊び」が合わさってできたのが雛人形です。

雛人形は、時代と共に豪華なものになってきたため、川へ流すのではなく「飾る」ことで厄を祓う形へと変わったようです。

豪華な雛人形を、毎年川に流してたらもったいないですものね。
初期の雛人形は、毛氈などの上に紙雛を並べる程度だったそうですよ。

雛人形を段飾りにして、美しく飾って祝うようになったのは江戸時代になってからです。

雛人形の歴史って長かったのですね。
わたしは、住宅事情で雛段飾りはもっていませんでしたが、当時そういう人に向けてケース入りのコンパクトな雛壇があったのでケース入りのものを持っていました。

当時は、子どもだったこともあって平安時代の「ひいな遊び」なんて知りませんでしたが、親の居ぬ間にケースから雛人形を出して遊んでいました。

 

雛祭りの由来

日本でも、奈良時代から平安時代にかけて、人形を川に流すならわしがありました。
この人形は、邪気を祓って子どもを守るための身代わりでした。

平安時代は、乳幼児が亡くなる比率が高かったことから紙で作った形代に災厄を乗せて川へ流す「流し雛」が行われていました。
流し雛は、今でも下鴨神社で行われる「流しびな」の行事になっています。

それが、貴族の女の子達の間で流行っていた「雛遊び」と結びつき、女の子の祝い日として、草餅や桃酒、白酒、炒豆などを飲食して祝っていたそうですが、後にこの日が雛祭りとして定着したようです。

上巳の節句と雛人形のまとめ

上巳の節句は、3月3日で五節句の一つで雛人形を飾り女の子の成長を祝う行事で女の子の節句です。

3月3日は、桃の節句、雛祭りと言った方が分かりやすいですが、正式名は上巳の節句と言って、じょしのせっく又はじょうみのせっくと読みます。

人形を川に流して邪気祓いをしていたものが、雛人形に変わり女の子の成長を祝う宴と共に雛祭りとして現在に伝わっています。

雛祭りは、女の子の成長と幸せを願うお祝い事で、雛人形は女の子を守る縁起物なのですね。
3月のはじめ(上巳)、桃の花が咲く頃の季節の変わり目(節句)に植物(桃)の力を借りて邪気を払うという行事なんですね。

わたしは、ケース入りの雛人形を持っていましたが、実家の立て直しと共にどこかで供養されたのか無くなってしまいました。

女の子が生まれたら、立派な段飾りが欲しいと思っていましたが願い叶わず、女の子のワンコをお迎えしたので、ささやかな二人雛の置物を注文したのですが、100均でも似たような二人雛がありました。

願いは孫へと続く・・・。

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