母の日にカーネーションはなぜ?由来や意味父の日に贈る花は何?について紹介します。
母の日と言えば当たり前のように子供のころから、カーネーションでした。
母の日とカーネーションは、負傷兵のお世話をしていたアンと言う方が亡くなり娘のアンナが亡き母を追悼する会を教会で行った時に、母が好きだったカーネーションを参加者に配ったことによるものです。
母の日の花と言えばすぐにカーネーションと言えますが、父の日の花は?と聞かれて黄色いバラと言える方は少ないのではないでしょうか。
母の日はいつから?
母の日は、アメリカ・ウェストヴァージニア州で、1908年5月10日にフィラデルフィアの教会でアンナ・ジャービスという女性が亡き母を追悼する働きかけに由来します。
そして、ちょうどこの日が5月の第2日曜日だったことからウェストヴァージニア州の知事が5月の第2日曜日を「母の日」とすると宣言したそうです。
やがて、アメリカ全土に広まり、1914年に5月の第2日曜日が「母の日」と制定されました。
日本の母の日の由来
日本で初めて母の日のイベントが行われたのは明治末期頃だったそうです。
1915年(大正4年)には、アンナのメッセージを受けた青山学院のアレクサンダー女史をはじめ、女性宣教師らが母の日の普及を始め、教会などでお祝いの行事が催されるようになり民間に広まったと言われています。
当時は、大日本連合婦人会の結成に合わせて皇后の誕生日である3月6日が母の日とされていました。
その後、1937年に森永製菓が中心となって諸団体が協力し「第1回森永・母の日大会」を開き母の日をアピールしたのだそうです。
日本でも、戦後1949年アメリカと同じく5月の第2日曜日が母の日となりました。
母の日にカーネーションはなぜ?由来や意味
アメリカの母の日の起源によるもので、戦場の負傷兵の衛生改善活動を行ったアン・ジャービスの娘、アンナ・ジャービスが、1907年5月12日、亡き母をしのんで母が教師をしていた教会に、母が好きだったカーネーションを祭壇に飾ったことによります。
翌年、1908年5月10日に同じ教会で、470人の生徒と母親達が「母の日」として祝った際、アンナが参加者全員にカーネーションを手渡したことから、カーネーションが「母の日のシンボル」となったということです。
母の日は最初は白いカーネーションだった
今では、母の日のお花は赤いカーネーションが定番です。
最初の母の日の花は、白いカーネーションでした。
それは、アンナが、亡き母をしのんで祭壇に飾った花が母の好きだった白いカーネーションだったからです。
では、なぜ白から赤に変わったのでしょうか?
元々、カーネーションは贈る花ではなく、母親への感謝を表すために身に付けるものだったそうです。
クリスチャンの間では、白いカーネーションは十字架に架けられる前のキリストとマリアを表し、赤いカーネーションは十字架に架けられた後のキリストの赤い血を表しているといわれています。
アンナの母もクリスチャンでした。
しかし、母親を亡くしている人ばかりではないので、母親を亡くした人は白いカーネーションを身に付けるように。
母親が健在の人は、赤いカーネーションを身に付けるようにとアンナの提案だったそうです。
そして時代が進むに連れ、カーネーションは母親への感謝を表す贈り物になりました。
父の日に贈る花は何?
父の日に贈る花は、黄色いバラです。
父の日が日本に伝わったのも定着したのも母の日よりも遅く、40年もたった後だったそうです。
父の日も母の日同様、アメリカが発祥でした。
牧師教会に「父の日」を作ることを嘆願した女性・ソノラが、亡き父親のお墓に白いバラを供えたことが由来となっています。
父親が健在の人は赤いバラを、父親を亡くした人は白いバラを贈るといわれていました。
日本では、日本ファーザーズ・デイ委員会が開催する「父の日黄色いリボンキャンペーン」と言うイベントの影響から、父の日には幸福や喜びの象徴である黄色い色のバラを贈るということが定着しました。
母の日にカーネーションはなぜ?由来や意味父の日に贈る花は何?のまとめ
母の日にカーネーションはなぜ?由来や意味父の日に贈る花は何?のまとめでした。
母の日のカーネーションは、アンナが、亡き母をしのんで祭壇に白いカーネーションを飾ったことが由来だったのですね。
母の日のカーネーションは知っていましたが、じゃあ、父の日のお花は?って思ったら出てきませんでした。
黄色いバラだったのですね。
白いカーネーションは、シンプルで綺麗だと子供のころ思っていました。
さらに、母親が白いお花が好みだったこともあり、母の日に白いカーネーションを買って帰った記憶がありました。
もちろん、母に怒られましたが。
その時、初めてお花の色にも意味があるのだなと思った小学生の頃の思い出です。